2006年10月30日月曜日
---奇妙なお話し1--- [ショートショート]
『ガラス越しの恋』
私は今日もこの道を歩いている。
アパートの先の角を折れたところから聴こえてくる三味線の音。
その先には子どもの頃よく世話になった、お菓子ばあちゃんがそこだけ黒光りする木の椅子に座っている。
「たつ坊、車に気いつけてな。はいいってらっしゃい」
私を待っていたかのようにお菓子ばあちゃんは、そう言って頭を下げた。
お菓子ばあちゃんという呼び名は子どもたちがつけたもので、私たちが路地で遊んでいると必ずあの椅子の上に座ってにこにこしながら見ていた。
そして三時頃になるとちり紙に包んだ人数分のお菓子を子どもたちに配ってくれるのだ。
それは私たちが物心ついてから日課になっていて、ごく当たり前のようにばあちゃんの行為を受けていた。
そういったわけでお菓子ばあちゃんという名前が付いたのだが、つい最近まで本当の名前を知らなかった。
二十五になってもまだ「たつ坊」と呼ばれているのだが、ばあちゃんの心の中では私たちはいつまでもあの子どもの頃のままなのだろう。
「いってきます」と言って手を振ると、ばあちゃんはまた深々と頭を下げた。
路地から大通りへ出てバスの停留所で列の後ろに加わった。
顔見知りのサラリーマンと挨拶を交わして、来たばかりのバスに乗り込んだ。
私は大手おもちゃメーカーの下請け会社に勤めており、いってみれば社内では中堅どころにはいる立場だ。
今まで何事もなく平穏な人生だったと思う。
決まった時間に家を出て、同じ道を往復。その繰り返しを五年近くもやっている。
これといって他人よりぬきんでた才能があるわけでもないが、かといって周りから相手にされていないわけではない・・・逆に自分に好意を寄せている女性が、少なくとも社内だけで三、四人いるのを知っている。別に、もてることをどうのと言いたいわけではないが、同僚たちからもよく飲みに誘われる方である。まあいたって当たり障りのない、平々凡々な性格なのだろう。
仕事からの帰り道、いつもの路地にさしかかったあたりに電柱が立っているのだが、そのちょうど目線の位置に
「本日開店!品数豊富な有名ブランド製品を、な、なんと四割引。お洒落なあなたを待ってます・・・・」
と書かれたビラが貼ってある。
知り合いのおやじさんが開店した、アクセサリーショップの宣伝だった。
有名ブランドという文字と、あのおやじさんとの組み合わせに妙な違和感があるのだが、ここは素直に祝ってあげよう。
お菓子ばあちゃんの「お帰りなさい」に向かえられてから少し歩いたところに、あの「有名ブランド・・・!?」があった。
店の前には近くの商店から贈られた花輪が大小混ざって飾られており、店内を客か手伝いなのかは判らないが出たり入ったりしている。
開店ともなると普段ひっそりとしている通りも、そこだけ華やいで見える。
店は自宅の一階を改造したのだろう、正面から見ても判らないが横から見るとコンクリート壁が三十センチ程で、そこから奥は今までの木造のままである。
ちょっと店の中を覗いてみた。以外とすっきりしたレイアウトに婦人物のバッグや小物入れ、アクセサリー等がきれいに並べられていて、ちょっとしたショウウインドウには現代的な顔立ちをしたマネキンが黄色いワンピースを着て立っている。
そのマネキンの横で飾り付けをしているのは、店主の長女で今年二十歳になる小夜子だ。
小夜子は私に気付いたらしく、なにか手で合図しているがはっきり聞こえない。まもなく彼女が出てきた。
「お兄ちゃん今会社帰り?」
小夜子は私の幼なじみで、よく私たちにくっついて遊んでいた。
歳が私たちと離れていたためはじめは相手にしなかった。
すぐ泣くのでわずらわしかったのだろう。
それでもまたけろっとして一緒に遊んでいる。
私たちもいつしかこの子を、仲間の一人として認め始めていた。
そんな頃から小夜子は私たちのことを「**おにいちゃん」と呼んでいた。
今でもその呼び方は変わらない。
目の前の子とあの頃の少女がオーバーラップした。あどけなさが消え女らしさに変わっていた。
「うん、今帰り」
小夜子はまじまじと私の顔を見ていたかと思うと、
「ここに白髪生えているわよ、おにいちゃん」
くすっと笑った口元にえくぼができた。
「父がお店を始めるって言うから何かと思ったら、私のためですって!」
「もう遺産配分を考えているのかおやじさん」
「私が結婚したらお店のやりくりを私にまかせて、自分は孫の顔を見ながら余生を楽しむんだ。
・・・なんて言ってるの。内職程度にはなるだろうですって」
「それで有名ブランド・・・だったのか」
「私をもらってくれる人を捜すのが先よ、って言ってやったわ」
そう言うと、小夜子は視線を私からそらせた。
「あっそうそう、今日うちでささやかながら開店祝いをやるの。お兄ちゃん来てくれるわよね」
「ああ、行くよ。何時から?・・・・・」
私は小夜子に約束してアパートに帰った。しばらく逢わない間に大人になったな小夜子。
小夜子が私に対して特別な感情を抱いているということは、何となく感じていた。
ただ子どもの頃からいつも一緒にいたということで、そういう対象として見たことはなかった。
しかし今日の彼女の仕草ではっきり分かった。
口には出さないがおやじさんも、私と小夜子が一緒になってくれたら・・・・というような態度だった。
私は今の自分の歳を考えても、結婚するには早くはないだろう。
仕事も面白くなってきた時だし、生活力に関しても問題はない。
小夜子本人から直接真意を確認したわけではないので、まだ何とも言えないが。

数日たったある日、めずらしく私は小夜子をデートに誘った。
彼女は夏らしく明るいパターンの柄のスカートと、白いTシャツを着て家の前で待っていた。
「お兄ちゃん!おはよう」
私は手を振る小夜子に笑顔で応えた。
「遊園地なんて何年ぶりかしら。でもお兄ちゃんが誘ってくれるなんて思ってもみなかったわ」
小夜子は子どもの時のように私の少し後ろから嬉しそうについてくる。
「お兄ちゃん、お願いがあるの・・・腕組んでもいい?」
私はなにも言わず腕を小夜子のほうに曲げた。
誘ったのは特に理由はなく、子どもの頃のように遊びたかったからだ。
小夜子はどう思っているだろう。
お互い昔のようにはしゃいでいたが、私自身彼女を見る目が変わってきているのに気付いている。
幼友達ではなく、一人の女性として見ている自分に気づいた。
しかしなぜか互いにそれを言うことに躊躇している。
それを口にしてしまうと、お互いの関係が崩れてしまうようで怖いのだ。
このままでいいのかもしれない。
数日後、私は変な夢を見た。
そこは三日前小夜子と行った遊園地のようだ。
そこには小夜子はいず、私一人さまよっているのだ。何かを探しているのか・・・・・。
ひょいと女の人が私の前に現れた。
ようく見るとそれは人間ではなく、マネキンのようだ。
きれいな服を着ていて、顔立ちもはっきりした美しい女性・・・・いやマネキンだ。
何かを私に訴えたいようなのだが、言葉が話せないのか(あたりまえだが)ただ大きな目をきょろきょろさせて、そのうち涙を流し始めた。
相変わらずうなっているだけで何を言いたいのか分からない。
そうこうしているうちにマネキンの姿が薄れてきた。
それでも何かを訴えようと必死のようである。消えそうになりながらもマネキンは、一言しゃべった。
「・・・・オ・ニ・イ・・・・チ・ヤ・ン・・・・」
マネキンが消えると同時に私も目覚めた。妙な夢だった。
その知らせが入ったのは次の日の夜だった。
残業をかたずけ帰ろうとしていると、きけたたましく電話が鳴った。
受話器を取るやいなや泣きながらの説明であった。
それは小夜子の父親で、同窓会帰りに小夜子が車にひかれて病院に運ばれたとのことだった。
私は急いで病院へ向かったが、すでに小夜子はこの世の人ではなかった。
小夜子の亡骸にすがって泣いている父親の横で、呆然と立ちすくんだ。
滞りなく葬儀が済み、焼香に来た人影もまばらになった頃おやじさんが私の横に座った。
黙礼してから、
「達也君、私は小夜子の気持ちを大事にしたい。あの子は君のことを・・・・・」
止めどもない涙をふきふき、また話し始める。
「君には分かっていたのじゃないのかな。今更言ったところでどうにかなるわけではないが、
私に話してくれたんだよ・・・君のことが好きだと」
ハンケチで目を押さえながら続ける。
「小夜子は幼いときに早くも母親を亡くしていて、そのため何でも私に相談してくれてね」
しばらくしてから葬儀場を出た。
今日はやけに天気が良くて、いつか小夜子と行った遊園地を思い出した。
あれが最初で最後の小夜子とのデートになってしまった。
酒でも飲んでいこう。そんな気分だった。
小料理屋を出るともう真っ暗で九時を回っていた。
一人で酒を余程空けたので多少足がもつれたが、頭の中は妙にはっきりしている。
小夜子の住んでいた家の前にさしかかった。
ショウウインドウからマネキンが、きれいな服を着てこちらを向いている。
私はちょっと立ち止まってそれを見た。
心なしかマネキンも小夜子の死を悲しんでいるように見える。
酔っているせいかマネキンが本当に泣いているように見えた。
それは錯覚ではなく、マネキンの目から涙が流れているではないか。
マネキンの表情が変わってきたかと思うと、それは小夜子の顔に変わっていた。
ショウウインドウの中から私に何かを訴えようとしているが、声は全く聞こえない。
「お兄ちゃん」
と言っているのは判る。
私は何とか中に入ろうとシャッターをがしゃがしゃやってみたがだめだ。
小夜子は不思議にも私のその行動に対して、拒絶しているようだ。
「中に入りたいから開けてくれ」
という文字をガラスになぞったが、小夜子は涙を流したまま頭を横に振った。
それから私をいつくしむように見つめているだけであった。
すこしたって小夜子はガラスに、「おにいちゃんさようなら」と指で書いたかと思うと、あのいつか見た夢のように小夜子の姿が薄れて消えていった。
-------- おわり -------- 1986年創作

